『クレーの絵本 第2集』

男声合唱組曲『クレーの絵本 第2集』は、三善晃の数少ない男声合唱曲のひとつ。比較的取っ付き易い譜面であることから時々演奏されているようだが、録音は案外と少ないように見える。シンプルな楽譜に見えて、この曲は不思議と近づき難い。皮肉と逆説が続く中で歌い手のスタンスが上手く定まらない。そこで、『第1集』に対し『第2集』であること、またこの曲が男声合唱であることの2つを手掛かりとしてこの曲のことを考えてみたい。

以前、『クレーの絵本 第1集』について

 

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 「階段の上の子供」が階段を下りて世界に至る話と見たのだが、この見方からするならば『第2集』は、その先を語るものでなければならないだろう。では、世界に至った先とは何だろうか。後年の谷川俊太郎は「いのちをかけて生きること」、また「はるかな過去を忘れないこと」「見えない未来を信じること」(『愛』)と書いた。三善晃は「地表の背律と不合理、生の哀しみや痛み」(楽譜前書き)と言うのだが、その地表に「いのちをかけて生きる」ことが、世界に至った先にあるものだろう。

このことが男声合唱に託されている、という点が重要に思える。

以前にも引用したことがあるが、三善晃は男声について次のように書いている。

 けっして身裡から外へ出ることのない、 抑制された感情のためにだけ響く、そんな男声のイメージをもっていた。

 これは『三つの時刻』に関連して書かれたものだった。『三つの時刻』の前年には『三つの抒情』を作曲しているが、その男声版への編曲の依頼があったときに三善晃は断っていたという。

 

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 単純に言うと、男の声で「やさしいひとらよ たづねるな!」と口走るなんてみっともなくて耐えられない、という感覚なのだろう。

『第2集』に選ばれた詩が描くのはまさに「地表の背律と不合理、生の哀しみや痛み」だが、それに対する思いの直接的な表出ではなく、「抑制された感情」の結果がこの曲だろう。