『三つの抒情』の男声編曲の話を見かけて

テーマ云々と言っても歌えれば何でもいいということもある、という話を書いた。男声合唱だと所かまわずいざたてウボイ的な戦いの歌を放歌したりするわけで、テーマもへったくれもない。愛唱するというのはそんなものではある。

『三つの抒情』の男声版は関谷晋が三善晃に断られた話や福永陽一郎による編曲版の話がある。これについては「いや、それはないわ」という面と、「気持ちは分かる」という面がある。

「それはない」については『北の海』が分かりやすいだろう。端的に言うと「人魚の歌を野郎どもに吠えられても困る」という話になる。男声合唱で『北の海』というと多田武彦の曲が有名だが、ここでは甘いメロディーで、高声で、ヴォカリーズでと手をかけて男声っぽさを薄めている。三善晃の場合は人魚自身による嘲笑で、この意味は女声でないと成り立たない。

一方、日本語の合唱曲のレパートリー拡充という面から見た時には、「分かる」という感覚もある。男声合唱の場合は1990年頃でもグリークラブアルバム、清水脩多田武彦にその他の作曲家が少々、くらいな印象があり、曲数もだが楽譜の出版という面でも寂しい状態だったように記憶している。まして、『三つの抒情』の男声編曲は70年代のようなので、良さそうな曲なら無理矢理にでも歌いたい、という状況かもしれない。

今の自分は『三つの時刻』をやろうよ、とまずは思うが、怖いもの見たさやゲテモノ趣味、それに当時の時代感覚のようなもの、そういった興味はある。一度くらいは聴いてみたい気がする。