『梟の駅長さん』

もともと詩を読まないので、宗左近の詩も特に読むことはない。『炎える母』を図書館で捲ってみたことはあるが、とても読み通せる気がしなかった。あるとき本屋で句集のようなものが安売りしていたので買ってみたが、これもあまり目を通さないままだ。

鈴木輝昭の『梟月図』を聴いて気に入ったというのもかなり以前のことだ。

 

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 CDと楽譜を入手し、詩が宗左近の童謡集『梟の駅長さん』から採られた、と書かれていたので少しだけ気になっていた。童謡集ということであれば手が付けやすいのではないか、と思ったのだった。ふと思い立って購入してみた。

32編の詩からなり、ざっと見ても『梟月図』のような曲集に見合う詩は取り上げられた5編くらいのように見えた。もっと緩くぼんやりした詩や、より緊密で自由に扱えそうにない詩がある。

最後に覚書が付されている。楽譜の序文で鈴木輝昭が「”中有”の空間」というのも、この文章から採られている。

生まれてすぐから五歳まで、数多くの病に冒されて、生死の幽明の境を、わたしは漂い続けました。今から思えば、幼い《中有》の住民でした。その体験の再生が、本書の中心です。

この童謡集でも、あるいは三善晃が曲を付けた詩にも見られるが、宗左近の詩には世界が入れ替わり得る、あるいは選び得るというような感覚がある。そのことを自分は空襲の体験とだけ結び付けて考えていたが、むしろこの覚書に語られたことが背景にあるのかも知れない。