『詩篇』まで

「弧の墜つるところ」に言うように、死者の仲間であろうとした『レクイエム』が死者の仲間でありえないことを示してしまった。そこから、なお生きている人間として、死者たちへと答えを返さなければならない、となるのは話としては難しくはないだろう。特に、自ら死者たちの言葉を聞いた立場として、それをしなければならないと考えるのは必然とも思える。

問題が2つある。生きている人々の仲間ではないことを前提にしていた三善晃が、否応なく生きている人々の仲間であるということを受け入れること。そして、そもそも死んだ人にどのようにして答えを返すことができるのか。

1970年代の作品は、これらの問題の解決に向けた試みと見られるだろう。『プロタース』の副題とされた「遠方より無へ」という標語が、目指すところを示している。『レクイエム』の死者たちを無へと解放する答えを返すこと。

いくつかの作品が、死との宥和のイメージを描いた。それが成り立つような共同性の中で、声を届かせることができるのではないかと、あるいは考えたかも知れない。『チェロ協奏曲』の解説には、そのような宥和への希望がある。が、この方向性は上手くいかなかったのだろう。というより、上手くいったなら早々に『レクイエム』と対を成す作品が書かれていたはずであり、「三部作」となる余地はなかった。

1976年の『レオス』についても上と類似の希望が読み取れるが、初演前に書かれた文章には既に作品への不安も見られる。実際に、1978年の『ノエシス』初演時の文章では『レオス』の改作を考えたことが書かれている。後年『響紋』のために書かれた文章<あと、地上には>には次のようにある。

「レクイエム」では、死者の声を聴いた。私のメモは<生←死>。「詩篇」では、生者が呼びかける。メモは、まず<生→死>。だが、声は、とどきようもない。死の壺の縁から「花いちもんめ」と聴きとれるエコーが戻ってくるばかりだった

「声は、とどきようもない」という断念がどこから生じたのかは不明だが、あるいはこの『レオス』に対する不満足がきっかけかも知れない。

そして、この断念が『詩篇』を成立させたのだろう。

宗左近は死者との宥和の可能性を見ない。また共同性からは零れ落ちている。『詩篇』では、死んだ人たちを取り戻すために、可能性の有無を問うこともなく何もかもを投げ渡していく姿が描かれる。三善晃はそこにおそらく、ある人の原型のようなものを見た。『詩篇』のタイトルに、そのことが込められているのではないか。