『鷗』の話(1)

清水敬一還暦記念演奏会の折に購入した『合唱指揮者という生き方』に、合唱をする人の間では木下牧子の曲などで知られる三好達治の詩『鷗』に触れているところがある。

学徒動員される直前の旧制高校生たちを前に、講演をする役が回ってきたことがあるそうです。「国のために立派に命を捧げてほしい」という内容の話をすることが期待されていたかもしれない場で、達治は「なぜ、君たちのような若者が戦場に行かなければならないのか」と言っただけで号泣した、と伝えられています。

 達治の『鷗』に、戦争によって故郷に帰ることの叶わなかった若者が投影されているというのが、この詩の正統的解釈でしょう。旧制高校生の夏服が白であったこと、鳩や鴎をその詩作にたびたび登場させる達治の詩風から考えて、その「読み」は外すことのできないものです。

(『合唱指揮者という生き方』P160)

 読んだ時にはそんなこともあるかと思った程度で、それきり忘れてしまっていたのだが、最近になって合唱ブログ 原動機 -文吾のホワイトボード の文吾さんが同書の感想をtwitterに書いているのをお見かけした。同書の素晴らしさを語る中で、「ただ一点」として上記の部分について疑問とされていた。

先の解釈については、文吾さんご自身も2年ほど前に紹介されていた。続くツイートで当時のことに触れられている。

この時には、前川さんという方が三好達治についてお調べになって、この解釈について「不可能なわけではないが、しかし状況証拠からみれば蓋然性はかなり低いといえる」とされていた。

が、前者は当の解釈を正当化する根拠が薄弱で、後者は実質『鷗』の詩に触れていないというあたりに何となく座りの悪い感じがある。

1.『合唱指揮者という生き方』に書かれた解釈について

先に引用した文章で、清水は「『鷗』に、戦争によって故郷に帰ることの叶わなかった若者が投影されている」という『解釈』(以下、『解釈』と二重かぎで表記)を「正統的解釈」としている。文吾さんの指摘はこの「正統的解釈」にかかっている。

「正統的解釈」

このように言われると、何とも言い難い違和感に襲われる。詩の解釈に「正統的」と言えるものがあるのか。どのような理由があれば「正統的」と言えるか。読み手がそれぞれ好きに読むだけでいいのではないか。あるいは逆に「ない」と断言できるか。

『解釈』について言えば、詩人の直接の言及があれば一定の根拠にはなるかも知れない。が、その場合でも読み手がその解釈を拒むこともできるのが詩ではないかとも思える。

その他、考えられることは色々あるが、「正統的」ということを一般性のある形で言い表すのは難しい。同書で「正統的解釈」と書いたのは少々粗雑な言葉の扱いだったのではないか。

 

『解釈』について

『解釈』は、例えば「木下牧子 『鷗』」で検索すれば多数目にすることができる。文吾さんのツイートを辿ればその出元と思われるブログにも行き当たる。やや気味の悪いのが、「号泣」と「白い制服」の話が必ず出てくることと、その他に解釈の理由や根拠が何も付け加えられないことで、この点は引用した文章でもほぼ変わりがない。印象の強いのが「号泣」のエピソードだが、詩との結びつきを示す直接的な証拠がなければ単に無関係としか言いようがない。『解釈』が成り立ち得るという根拠が白い夏服だが、「可能」というだけであって「そう読むべき」とまで言えるものではない。「鳩や鴎をその詩作にたびたび登場させる達治の詩風」だけは清水が付け加えた観点なのだが、これはむしろ鴎が「戦争によって故郷に帰ることの叶わなかった若者」とは言えない理由にならないだろうか。

強く言うなら、引用した文章からは、感心した解釈を特に検討しないまま引き写した様子が見える。

 

 

2.『解釈』自体について

『解釈』を好むわけではないのだが、次のような点は『解釈』を多少補強するかも知れない。

 「自由」について

三好達治 - Wikipedia

ウィキペディアには、三好達治は旧制第三高等学校の出身とある。

第三高等学校 (旧制) - Wikipedia

こちらもウィキペディアだが、一高の「自治」に対し三高の「自由」、なる気風の違いが言われている。この点は、詩において「ついに自由は彼らのものだ」と繰り返されることと符合するように思える。

「彼ら自身が彼らの故郷/彼ら自身が彼らの墳墓」

ここの詩行は分かりづらく、ぼんやりと教条的な意味に読むことになりやすい。が、鴎を戦死者の生まれ変わりと見るなら、この2行の意味は明確になる。この点は解釈として魅力的に見える。

「白鷗」

文吾さんのツイートにある論文は、題名の通り鴎の出てくる詩を順を追って読み、鴎に託された意味を読み解こうとするものだったが、論文中に戦時中の詩が2つ取り上げられている。この2つでは鴎はともに「白鷗」として現れるのだが、論文はその意味を丁寧に扱っていないように見える。「白鷗」であれば「旧制高校の夏服」と繋ぐのも不自然ではないだろう。

「食堂」と「舞踏室」

旧制三高の建物がどうなっていたか、手軽には調べられなかったが、具体的な対応があるようなら、『解釈』の補強になり得るか。あるいは「朝の歌」「夕べの歌」に対する何かがあったかどうか。