『三つの夜想』の詩について

『三つの夜想』の3篇の詩について少し見てみる。

『淡いものに』

「淡いもの」については、詩の終わりに現れる「ひらかれた目に 淡く/次の くもが」からまずは雲、そして冒頭に戻って「”真実”のような雲が」と繋がって、”真実”を指す。

「罪」という言葉が、曲においても印象深く現れるが、これは”真実”に背くことだろう。「何も知らない心にも」とは「罪を知らないあなたの心にも」、「知った心になら」は「罪を知った私の心になら」だろう。

『ある肖像』

「仔狐」は、過去にはほぼ自分そのものだったようなある性向を示していて、それがタイトルの通り「肖像」ということではあるだろう。

「”あのひとの死にざまは すばらしい”」は大事なポイントで、人の死を評するような視線が含まれている。この部分の曲の感触は恥ずかしくて耐えられないというようにも感じる。「私はもう おまえに飽きている」は、もう自分は「すばらしい死にざま」を求めないということだろう。

『或る死に』

タイトルは「死がそんなに早くやって」きた誰かに、ということだろうか。詩の全体に弔辞のような調子を感じる。

第一連が「死その1」、第二連が「死その2」で、いずれも美しい死、「”あのひとの死にざまは すばらしい”」と言われるような死、ということだろう。以下詩には現れないが「死その3」「死その4」等々があり、それらが「黒い衣の懐かしい影」、「死の姿」と言い換えられる。

死んでいった誰かの、その死が、「すばらしい死にざま」を求めて本当に死んでしまうかも知れない「私」を押し留める、「支えてくれる堅固な柱」である、ということなのだろう。