『柳河風俗詩』と『富士山』

 

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 の続きのようなもの。今回は「多田武彦らしさ」について、違う方向から触れてみる。

『試論』では清水脩から多田武彦への指導についての話が大きく扱われていた。そこでも扱われていたが、清水脩多田武彦と言えば『柳河風俗詩』についての指導の話はよく知られている。孫引きになるが、清水が

なるほど歌い易く美しい曲だが,男声合唱としてはちょっと優しすぎるし,もっと音域もたっぷり使い,壮大な曲想のものを書くべきだ

東芝LP TA-8023「現代合唱曲シリーズ 柳河風俗詩 多田武彦作品集」 ここでは

グリークラブアルバムの研究 各曲編 25. 柳河 | 日本男声合唱史研究室

より)

と言い、多田はその指導に従って『富士山』を作曲した、ということらしい。

詳細な経緯を追うほどの関心はないが、この流れを大まかに見るならば、『柳河風俗詩』には多田武彦の元々の美意識が、『富士山』には男声合唱曲あるべき姿への志向が表れているはず、と思える。

『柳河風俗詩』については

 

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で書いたように、悲痛な表情の力が作曲者の意図を越えてしまったのではないかと考えているが、ともあれそのような表情を作曲した感性があるということでもあり、その意図と感性それぞれに「らしさ」のもととなる部分があるだろう。一方、『富士山』は『柳河風俗詩』とは全く異なる、上に引いた清水脩の言葉にも沿う壮大な曲となっている。これは多田武彦の思う男声合唱らしさということでもあっただろう。

この2曲に見える特質を、

  1. 優美さ
  2. 表情の細やかさ
  3. 軽妙な表現
  4. 切実な情感の表出
  5. 雄大

と列挙してみる。これ自体主観的で偏ってはいるが、このように見た場合、1、2、3、4が『柳河風俗詩』、2、5が『富士山』にみられる特徴となる。さらに言うと1、2、3が多田武彦が自ら表現したもの、4は意図しないまま表れてしまったもの、と自分には思われる。

この1~4が従来思われてきた男声合唱らしさからややずれた性質であるというのは、清水の言葉からも感じられ、それなりに理解しやすいことと思われる。そのずれたところが以降多田武彦らしさとして受け入れられ、その性質を念頭に新作が求められたのではないだろうか。

一方5の性質、雄大な音像についても一定求められ、また組曲の構成上作曲者自身も手掛けてきたものだろう。が、この性質は「男声合唱らしさ」に結び付けられ、草野心平の詩による曲群を除けばあまり多田武彦の楽曲の特質とはされなかったように感じられる。