海外の作品について書くのは気後れする

日本人の曲では割合気ままに思いついたことを書き散らしているけれど、海外の曲だと同じようにはできない感じがある。

マックス・レーガーの曲について思っていたことを書いてみたのだが、

tooth-o.hatenablog.com

ヨブ記のテキストと最後の審判をつなげてしまうのはありかなしか、とか、なしならこの見方全部間違い、とか、気になってしまう。歴史とか、キリスト教の文脈との関係など全く無知なため、いいかげんさや軽々しさがあからさまになってしまうと感じる。

実際、日本の曲でもやっていることは同程度で、歴史も浅くあまり語られてもいないから雑なことを書いても大したことにならないだけなのだろうけれども。