『縄文土偶』の詩を読んでみる(2)

 

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 見返してみると、だいたい『ふるさと』について書いていた。『ふるさと』については諸々の比喩を潜り抜けて状況を読み解こうとした、と言えそうに思う。『王子』では状況というか、「ついに王となることのない王子」の意味は一応分かっていて、そこから詩行がどのように比喩となっているかを見ることになる。

『王子』の詩は7つの連から成り、最初の連と最後の連、2番目の連と最後から2番目の連に対応が見られる。この外枠の中に3つの連がある。

内側から見てみることにする。前回も触れた第3連は「花の化石の瞼の明け方」の行により、詩の時と場を定めている。続く第4連と第5連は、魚は水面に辿り着けず、音楽は水底に届かない、というように対照をなしている。

ここをもう少し見てみると、まず魚は「地下水しか泳げない」、よって水面、詩の中では「あぶくの泡立ち」に辿り着けない。次の「星の筏」は星座だろうか。星は当然空にあるのだが、「坐礁」は水面で起きるだろう。この辺りは適切と言えるかは分からない。が、「坐礁した星の筏という楽器」による音楽が「水底に届かない」という話の流れとなる。前回の図式を思い起こすと、水面は水と空の境目であるが、これに夜明け、また炎が対応していると見ることができるだろう。「地下水」に表されるが水中は夜、炎の前、滅んだ世界と、空は昼、炎の後と結び付く。

 第4連と第5連のこの対照が、第6連の「光の幻」と「幻の光」によって受け止められる。更にいうと、「音楽に瞳はなく」から「幻の光から見られることのない」にもつながっている。おそらく「光の幻を見つめ続けていて」は滅んだ世界に対しその前の姿を思うこと、「幻の光」は未来を、「見られることのない」とはそこに属さないことを言っているだろう。また、遡って「地下水しか泳げない魚」が王子を表すと見ることができるだろう。

 この第6連を、第2連と並べてみる。4行の内容は、次のように整理される。王子は自分と、自分のかつて属した世界を見ている。そのために、滅んだ世界を受け入れず未来に受け入れられない、「ついに王となることのない王子」となる。

と、ここまで書いてきたが、最も外側が難しい。第1連が第2連の「おのれを見つめ続けていて」を導くのが、「影」か「鏡の水門」かが分からない。あるいは水面が「鏡の水門」とうことがあるかどうか。そして、第7連に現れる「眩暈」「飛沫」などの言葉を、『王子』の中だけで考えて良いのか。