『街路灯』のこと

 

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 『街路灯』自体についてこのような見方をするのはそれほど妥当ではないかも、と短い間に考えが変わった。まったく違う、と思う訳でもないけれど。

色彩に満ちた時期としての幼年と、後にそれを思い返すこと、という詩の図式と、この曲集に選ばれた詩をそのような図式で選び出しまとめた三善晃の背景についてはそれほど変ではないつもりで、ただ3曲目を別にした4曲について、それぞれが同種の図式の別の表れ方に見える、要するに1曲だけで総括的に何かを言うのが不適切な気がする。

雑な感じとして、1曲目『マルメロ』と2曲目『雲』が幼い頃を「開く」のに対して、3曲目を間に置いた4曲目『オルゴール』、5曲目『街路灯』は「閉じる」ということになっている。さらに言うと、『マルメロ』と『オルゴール』は「私の」幼い頃(「なくしてしまったふるさと」「ふたたびめぐりあえなくなった日」)、対して『雲』と『街路灯』は「おまえの」、という風に思える(『雲』はそのまま「おまえのなかにある海を」。『街路灯』は「みんなすてよう/めぐりあわないために」のひらがな表記から)。

1、2曲目と4、5曲目の違いは多分、幼い時期を今直接思い返すことと思い返す有りようをさらに一歩引いて見る、というようなことだと思う、そしてその間に、3曲目『おんな』という、不思議な感触の曲がある。