『戦いの日日』(『嫁ぐ娘に』)

最近になって、ようやく『嫁ぐ娘に』の楽譜を購入した。私的な感覚として、「嫁ぐ」の語感がすでに何となく受け付けないところがある。
『戦いの日日』はソロが多用されているけれども、これがどういうことなのか、というのが気になり出した。冒頭と結尾はナレーター的だが、中盤に出てくるのは配役、という感じがする。
そうして見ると、「おれの手は」と歌う最初の2つのソロの後の合唱は個々人がそれぞれに歌う、というイメージになるだろうか。その次のテノールのソロは、「若さ」という印象を通じて「娘」の相手へのイメージと結び付くかもしれない。