『三群の混声合唱体とピアノのための あなた』

『三群の混声合唱体とピアノのための あなた』は合唱連盟「虹の会」(成蹊大学混声合唱団、成城大学合唱団、武蔵大学合唱団リーデルクランツの3団体から成る合唱団体)のために書かれた作品。詩は谷川俊太郎の詩集『みみをすます』から採られており、三善晃の同詩集による3作品のなかでは『ぼく』に続き2曲目となっている。3曲目として『じゅうにつき』が作曲されたが、これもまた同団体のために書かれた。「虹の会」が3つの合唱団から成る合唱団体であることからこれらの3曲は三群合唱という形態で作曲されたが、『じゅうにつき』については出版にあたり通常の四声に改められている。

楽譜の前書きの文章《虹あるいは鏡の絵柄》には、このように書かれている。

「ぼく」はMorendo し,「あなた」はCrescendo して曲を終わります。

二つの曲には,その他色々な対称がありますが,それもまた,谷川さんの詩に示唆された,たった一つのパラダイム…おそらくは人間存在というものの枠組み…のなかでの”虹”や”鏡”の絵柄を示すものに他なりません。

では、と『ぼく』を並べてみた時に、その対称性を感じ取れるかというと難しい。『あなた』の方が構造の見通しが立ちづらく、そのためにどのように比較してよいのかが分からない。

詩は、割合どうしようもない感じの恋の話のように読める。「わたし」は、海の向こうに恋人を置いてやってきた「あなた」を好きになったのだが、「あなた」は恋人から手紙が届いたために帰ってしまった、という話だ。

詩の中盤に「あなたのいきに/どろっぷのにおいがする」という詩行がある。要はキスシーンだが、曲はこの詩句の部分で、それ以前から遅いテンポがさらに落とされる。ここが「あなた」との恋のハイライトであり、思い出の中でスローで再生されるという意味になっている。ここが全曲の表現の中核となり、哲学じみた問いを捻り回すような詩の言葉や頻繁に表情の変わる音楽の意味はこの部分との関係で明らかになると感じられる。

こうして恋愛の物語とみると、この曲は『ぼく』において「あいした(とおもった)」とだけ触れられたことに対応しているかも知れない。ものは言いようの感もあるが、「わたしが生きる」という意味を、『ぼく』は外部から俯瞰することによって、『あなた』は端的な一局面を切り出すことによって示そうとしているのだろう。そのように考えるなら『ぼく』と『あなた』がそれだけで終わらず、その先に生の時間が描かれる必然があったのだと思える。『じゅうにつき』は未聴、未読だが、その書かれた意味も見えてくる気がする。