この夏のこと

今年は私生活に大きな変化があり、思いがけずできた時間の空きを合唱団の活動に使うことになった。その一部として『交聲詩 海』を歌う機会もあった。実のところ自分で歌うと思ったことがなく、楽譜もそれほど細かく見てはこなかった。

実際に音取りをしてみると、案外音の数は多くなく、少し歌ってロングトーン、また少し歌ってロングトーンという趣ではあった。この点やや意外というか音を取るのが特別困難ということはなく、なので長らく怖がり過ぎていたか、と思いながら練習に取り組んでいた。

が、実際に本番になってみると頑張って声を出したものの、いったいこれは何の歌だったのか、という気分が残ることになった。「聲」の字に賭けて最後のffffで勝負するのではこの曲に踏み込むのには不足だった。とすると次は「交響詩」との関係を考慮することになるが、これは短期的な取り組みでは間に合いそうもない。

 

その他、ここしばらくは邦人作品に広く浅く触れる形になっている。近年の曲もそれなりに歌い、それらには洗練されたものを感じるのだが、洗練されている、以上の魅力のある作品は限られており(それはどの年代でもそうだろうが)、合唱団に所属するというのはそうした曲も歌うということではある。

 

自分が歌いもせず聴きもしていない部分の話としては、今年も東混の「八月のまつり」があり、そこで『原爆小景』とともに『その日-August 6-』も演奏されたらしいということがある。どちらも原爆をテーマにしているから、ということではあるが、このような選曲にはどうも疑わしい気持ちが浮かぶ。演奏者の内心で、この両曲がどのように配置されるのかとつい思ってしまう。

今となっては『原爆小景』を歌うのも、ほぼ間違いなく「その日私はそこにいなかった」という人たちなのだが、『原爆小景』を歌うことは「私はただ信じるしかない」にまた帰されるべきものなのか。そうであるなら林光の視点は三善晃に回収されるということなのか。またそうでないなら『その日-August 6-』を歌う意味は何なのか。どのようにもコミットしないならこの「八月」はファッションでしかないのではないか。

 

また15日の周辺では三部作の話を見かけることになった。そこでまた宗左近の話も上がる訳だが、終戦時にようやく中学1年生だった三善晃と26歳だった宗左近とを「戦争体験」の一言でひとまとめに語るような乱暴な語り方も見られてうんざりした。

年齢一つ見ても、体験という意味では限界があるのは当然なのだが、近年の扱われ方はその当然を踏み外している。そこではもう三善晃は人ではなく、だから三部作、四部作という創作の展開を追うこともできない。