『詩篇』を聴いている

詩篇』を何度か聴いている。聴くのが苦しいことはないが、どこか近づきづらい。『レクイエム』よりも難しく、三部作の文脈としてイメージしてきたことからも当然ながらはみ出している。
むしろ「三部作」にするなどとは思っていなかったはずだと思う。三善晃は『レクイエム』を作曲したときには「この一曲」と思っていただろうし、『詩篇』のときも「これでけりをつける」というつもりだったはず。そうでなくて一曲を創り上げるなどということができるわけがない。
『四部作』の成り立ちの方が奇妙だ。一曲一曲を書くたびに「まだ足りない」と感じていたのだろうか。