『ほたるは星になった』『落石』(『光る砂漠』)

萩原英彦『光る砂漠』の第5曲『ほたるは星になった』と第6曲『落石』は、共に夜の詩によっている。2つの詩に関連があるのかは知らないが、作曲者にはこれらを並べた意図があったのではないだろうか。

『光る砂漠』の楽譜には自作の解説が「作曲者のことば」として載せられている。そこでは主題がアルカデルトのアヴェ・マリアの逆行形によることが語られ、さらに「病床にあった矢澤少年が想いを寄せていた看護の女性(聖母マリーアの像)の去りゆく姿」との説明がある。作曲者は『光る砂漠』を「キリスト教的内容をもつ宗教音楽」としているのだが、その第2曲から第7曲には恋の物語が内包されており、萩原英彦はそれを含めて「宗教音楽」と言っていると見られる。『ほたるは星になった』と『落石』は全曲でも特に劇的な2曲であり、恋の物語の核心でもある。

二つの光が

もつれて河面に散った

 

光は愛し合い

はるかなる旅へ去った

 

ほたる

きっとあの星のむれに入るだろう

(「ほたるは星になった」)

このように、『ほたるは星になった』ではほたるの光に託して恋の成就が夢想される。病と死を越えてそうした思いの生き続けることが夢見られている。一方『落石』では

岩があばら骨をたたきながら

転げた

 

星空から逃げるように

岩壁に砕け

急流の中に散った飛沫は

炎となってヤマメの鱗を光らせた

(「落石」)

自身は病から逃れられず、光は「星のむれ」に留まり切れない。そうして「星空から逃げる」こととなる。作曲者がこの2つの詩を並べて配置したのは、このように夢想とそれが破れる様を描くためだろう。そこで死にゆく定めが確信され、第7曲『秋の午後』が、純粋に相手の幸福を願うものとして置かれることになる。