1970年代と2010年代の『空に小鳥がいなくなった日』

ここしばらくで林光、平吉毅州松下耕信長貴富と、都合4人の作曲家による『空に小鳥がいなくなった日』を聴いてきた。これは単純に触れやすかったからではあるが、振り返ると林と平吉の曲は詩とともに1970年代の作品であり、松下、信長の作品は2010年代の作品だった。このように年代で考えた時、後者の方が破滅の表現として先鋭化していることが奇妙に思える、ということを前回に書いたのだが、このことをもう少し考えてみたい。

まず、これらの4曲をもう一度振り返ってみる。

林光の作品は後に合唱にも編曲されているが、元々は「みんなのうた」で流れたもの。子供のための歌であり、また一人で歌われる曲だった。ここでは「空に小鳥がいなくなった日」とは現在のことであり、そうした現在に対してどのように向き合うか、ということがこの歌の意味になる。

平吉毅州の曲はこの詩に対するものとしては早い時期の合唱曲だった。いずれ訪れる破滅に対する無力な慨嘆という曲調であり、その破滅は人類の生存自体が怪しまれるものだが、終盤のピアノに予兆として鳴らされるだけであるために、曲の印象自体は寂しい情感が主となっている。

松下耕は童謡めいた歌から色彩感を引き去ったような音楽とした。このことには「空に小鳥がいなくなった日」に「ヒト」が歌い続けた歌、という意味合いがあるように思う。また、「ヒトに」の部分のピアノから自分は三善の『王孫不帰』や『風見鳥』を連想した。松下耕は今の世の中に対して大政翼賛的なイメージを持っているのではないか。

信長貴富の音楽は非人間的な世界を強烈に描き出す。その鋭さは上の3人とも異なるもので、日本の社会に対する作曲者の問題意識が表れている。またそれは音楽の面では曲の構成の明瞭さや音の透明感に繋がっている。

前の2曲と後の2曲との間にはおよそ40年の隔たりがあり、曲についても相応の違いがあること自体は自然ではある。が、音楽が、現代が昭和の時代よりも暗いかのような表現になるのはなぜだろうか。

詩はかなりはっきりと、人と世の中に対し批判的な視点から語られる。そして、この詩を取り上げる作曲者にも世の中への批判の意識があると考えられる。

大雑把には、この詩は「森にけものがいなくなった日」「海に魚がいなくなった日」のような事象の先に「ヒトに自分がいなくなった日」が核心として示される、という風に読めるだろう。詩の言葉は具体的な対象を指さないが、批判の意図は現実への接点を必要とする。詩と同時代の曲とより後の年代の曲では、そうした接点のありかたに違いが生じる。

「森にけものがいなくなった日」と言う時に、同じ時代であれば共通に思い起こす事態や状況、問題意識があるだろう。曲はそこを起点に、そこから語り得る「ヒトに自分がいなくなった日」やその先を描くことになる。時代背景を基盤にもつことから、「ヒトに自分がいなくなった日」の印象がややクリアにならない面があるように感じる。

このように思い起こされる問題は、時とともに当然現代のものではなくなる。その結果として話が反転する。「ヒトに自分がいなくなった日」がまず現在の問題として設定され、その問題意識を支援する事象として「森にけものがいなくなった日」が適宜選定される、ということになる。さらに言えば、「ヒトに自分がいなくなった日」とはどのような事態かは実は明らかでなく、作曲者が任意の問題を代入できることになってしまう。松下や信長の曲は、詩のこうした罠に他愛なく嵌った結果に見える。

作曲年の離れた4曲の違いについては、おおよそこのようなことと考える。一方で、この4曲の姿勢に共通する点もある、と感じる。作曲者たちはこの詩の語り手となることで、自身は批判を免れる位置に立つことになっているように見える。