『混声合唱とピアノのための 4つの小品』

何度か取り上げているハルモニア・アンサンブルのCD『地球へのバラード』には、委嘱初演の作品が4曲収録されている。この4曲の楽譜は表題のタイトルで1冊にまとまって出版された。内容は

  • 『三味線草・壱』(作詩 竹久夢二/作曲 森田花央里)
  • 『胡蝶』(作詩 八木重吉/作曲 網守将平)
  • 『私の胸は小さすぎる』(作詩 谷川俊太郎/作曲 魚路恭子)
  • 『立ちつくすー混声合唱とピアノのためのー』(作詩 長田弘/作曲 三宅悠太)

曲というよりは、作品に好悪の感想を持つということ、「好き」や「嫌い」と思うときに、自分が実際には何をどのように見ているのかについて、これらの曲を通じて見返してみたい。

最初に曲の好き嫌いについて言うと、

  • この中では、『胡蝶』を最も好んでいる。
  • 『三味線草・壱』は好きとも嫌いとも言いづらいが気になっている。
  • 『立ちつくす』はどちらかと言えば嫌っている。
  • 『私の胸は小さすぎる』にはあまり関心がない。

となる。委嘱の時点で作風の違いを考慮していたのだと思うが、4曲は互いに全く性格が異なっており、自分の印象もそれぞれ違う。

『私の胸は小さすぎる』については、申し訳ない話だが、自分がソング的な曲には相性が悪い。元は林光のソング集のCDを聴いた時に途中で飽きたことによる。終盤に向けて面白く感じる部分もあり、つまらない曲ではないと思うのだが。スタイルへの好き嫌いが割とあり、そこでこの曲に合わなかった。

『胡蝶』は割合と気楽に「好き」と思えた。明るく軽やかですっきりした曲、という嗜好がある。また歌い上げるものよりは、言うなら器楽的な、短い動機や明確な音響の配置で聴かせる曲の方が合唱曲については好んでいる。

この2曲に対する「好き」や「嫌い」は、例えば食べ物の好き嫌いのように単純なものだと感じている。それは両曲を何か主張を持つものとして受け取っていないということで、その分自分の好みを警戒心なく受け入れている。その中で、魚路恭子は声楽作品での受賞があり、網守将平は器楽や電子音楽を中心としている、という活動領域の違いが曲に反映されていると感じる。

『三味線草・壱』と『立ちつくす』はそれぞれのテーマを持って作曲されている。すると、曲のスタイルや響きに対する好みだけではなく、そのテーマへの作曲者の姿勢や自分のスタンスがどうしても問題になってくる。

『三味線草・壱』については、好き嫌いを言いづらいというのが実際のところになる。自分からすると、この曲のテーマは他人事に過ぎない。にもかかわらずこの曲が気になるというのは、「この作曲者は本気だ」と、また共感されない、通じないことを通じさせようとしていると感じるからだ。そこで、自分がこの曲にどの程度向き合うか、混乱が生じる。曲としては、聴く分にはそれほど好みではない一方歌うなら良さそうに感じる。が、演奏上の扱いとしても命がけのような調子になるか スタイルに乗る余裕を見せるのか、その間のバランスになるかあるいは両立するものなのか、という風に迷ってしまう。

『立ちつくす』の音を、自分はどうも嫌ってはいない。力強い和音と輝かしいピアノはかなり魅力的だ。この曲を好まないのは、「祈る」というテーマ、長田弘の詩、というあたりに出どころがある。何となく良いことを言っていそうな、それでいて何を言っているかは分からない、そのようなもの人を結集させるための音だと感じるのだ。こういうものは気味が悪く、危険でもあると思っており、その警戒心がこの曲を嫌う気持ちになっている。