『海の日記帳』

「こどものピアノ小品集」と付された、28曲から成る作品集。三善晃自身のピアノによるCDがあるのでかなり以前に購入し、楽譜も買ってしまった。とはいえピアノを習ったことがなく、ピアノの曲もあまり聴かないし知らないので、この曲集についても何が言えるということもないのが正直なところ。

購入した以降、特段この曲集を好んで聴いたということはなかった。三善晃の作品を割合熱心に聴いていた時期だったが、これらの小品よりも、心理的により負荷のかかる作品を追う気持ちがあった。または、作曲者自身が作曲を通じて変化するのが感じられるような曲が聴きたかった。その変化の落差に曲の価値を見ようとしていたと思う。

この曲集を好むようになったのはここ数年のことだ。その変化には、三善晃が亡くなったことが関わっている気がする。もう三善晃が作曲をすることによって変わるということはなく、であればその変化を追う必要もない。

そのように、差分を計るのでなく曲を聴くようになったときに、子供のための作品に例えば「さよりっ子たちの訪問」のようなタイトルを付ける、三善晃の子供へのまなざしのようなものを感じるようになった。

この作品集から採り上げた曲をピアニストが演奏したCDもいくつかあり、ピアノの音楽として立派な演奏をしているのだが、そこで行われているのはそれらのタイトルを含めた楽曲の意図を表現することになっている。それは当然であり正しいことでもある訳だが、自作を弾く三善晃はこれも当然に別の立場から演奏している。そこでは、それらのタイトルを付するのと同じ、子供たちへの心情が表されている。