『戦いの日日』について

昨年に、ルネ・ヤーコプス指揮、RIAS室内合唱団の『マタイ受難曲』のCDを購入した。2枚組で取り回しが良いので、何度か取り出して聴いていた。

解説なども少し見てみたが、福音史家やイエスなどの配役、合唱も総括的な曲と群衆のような役割やコラールなど、多数の層からなる複雑な構造がある、らしい。らしいというのは、それを十分に把握するほどはまだ聴いていないということなのだが。

ところで、『嫁ぐ娘に』の3曲目、『戦いの日日』について。『嫁ぐ娘に』についてはありがたいことに

http://www.geocities.co.jp/Milkyway/6021/q_totsu.html

こちらに貴重な資料が公開されており、三善晃自身が質問に応じて楽曲全体の構成から楽譜の誤りまで解説しているが、中でも『戦いの日日』についての質問が多く、内容も詳しい。特に「質問5:『"3.戦いの日々"の構成について』」で説明される曲の構成は、複雑ながら明快でもある。

この解説と、以前に触れたことのあるソロの位置づけ tooth-o.hatenablog.com

を合わせて見たとき、それほど長くもないこの曲の中に、受難曲に似た多数の層と複雑性があるように思える。始めと終わりのソロはナレーションのようであり、女声は「やめて!」の科白の中で、他の言葉が状況を語っていく。「おれの手は」の部分は兵士の言葉で、ソロの3人と、同じように語り出そうとする他の兵士たちの合唱、という作りになっている。3つのソロは「手」を通じて戦争以前の、男たちの働き手、父親、女を愛する者という3つの面を語ってもいる。

このように見ると、ソリストの役割は重いと同時にそれぞれに違いがあるのだが、案外意図を持って歌われている印象がない。この曲の代表的な演奏でも何となく頑張って歌っているという感があり、むしろ東京混声合唱団の古い演奏が、ソロの部分に関してだけ見れば優れていると思う。