「地表の背律と不合理」

 背律、不合理と呼ぶからには、当然そうであって欲しくないという思いがある。

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例えば『黒い王様』は、「『おなじひとつのほしのうえ』に『おなかをすかせたこども』がいるのに、『おうさま』はおなかがいっぱいなのがかなしい」という話だろう。そして、この「のに」が表向きは隠されている。「のに」は声高に歌い上げるものではなく、自分の生活の中で、あるいは仕事として問われるべきもの、と考えたのかも知れない。

 

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言ってみればこの「背律と不合理」から逃れて、人は「階段の上の子供」になろうとするので、これは第1集と第2集を通じてのテーマと見ることもできるだろう。その忌避感は『幻想喜歌劇「船乗り」から格闘の場面』に表現され、また『選ばれた場所』の逆説的な内容にも表れている。

第2集について言えば、『黒い王様』と『ケトルドラム奏者』が「背律と不合理」があることを、『黄金の魚』と『まじめな顔つき』が生きる限りそこから逃れなれないことを、そして『死と炎』がそのような地上の生への愛惜を描いて、このテーマを総括する。