『路標のうた』

「弧の墜つるところ」は1985年に書かれた文章で、『レクイエム』を起点と見て以後の創作を自ら振り返るといった内容になっている。『五つの詩』、『三つの夜想』の1985年、と思う。『田園に死す』がその前年の末。これらの曲を思うとき、1985年を三善晃の創作の一つの区切りと自分には見えてくる。「かくれんぼの鬼とかれざる」ことを自身の内に閉じて、これからは自分ではなくひとのための歌を作ろうとしたのではないか、という気がする。この後の曲がどれほど初演者の姿を反映し、また初演者への期待や希望を込めたものだったかが、1曲1曲を聴くごとに感じられる。

合同演奏という特殊な場に向けた曲も、この後に書かれるようになったようで、『路標のうた』が1986年、他にも虹の会の委嘱による『ぼく』『あなた』『じゅうにつき』といった曲が作られている。『ぼく』について「途中に何かあっても最後は感動できてしまう」と書いたことがあるが、これら合同演奏のために書かれた曲はまた恐ろしいというか、練習不足でのべっとした演奏をしても何とか形になる上で、その詩句を深くとらえるならまたそれに答える曲にもなっている。

『路標のうた』の場合、初演者は関東と関西、遠い距離を隔てた2つの大学の合唱団であり、そのことが詩においても曲においても明確に意味を持つ。そして両団体の交歓から、客席に向けて「新しい友よ」と呼びかける。2つの団と演奏を聴く人たち、という関係に対してこの曲のありようは完全というしかない。