三善晃の男声合唱曲

自分自身男声合唱から始め、今も時々参加している中であえて露骨に言ってみるが、男声合唱団には独特の恥ずかしさや気持ち悪さがつきまとう、と感じることがある。歌えれば何でもいい的な能天気さ、極端な高音や低音への偏愛、バカっぽさへの同調圧力等々。

さらに、男の歌というのがまたバカかみっともないかのどちらか、という感覚がある。悩まなければバカっぽく悩めばみっともない。恋を歌えばバカっぽく失恋を歌えばみっともない。

『三つの時刻』についての1963年の文章で三善晃は次のように書いている。

けっして身裡から外へ出ることのない、 抑制された感情のためにだけ響く、そんな男声のイメージをもっていた。それが作曲の迷路になった。

感情は無ければならないが、隠され、抑えられていなければならない、30歳の三善晃にとって男声合唱というのはそういうものだった。男声合唱のための曲の少なさをみると、おそらくその後もあまり変わらなかったのかも知れない。

『三つの時刻』の次がもう『王孫不帰』、そして『五つのルフラン』、『クレーの絵本第2集』、『縄文土偶』と、どれ一つも似ても似つかない。それぞれに別個の、「迷路」を抜ける道があったのだろう。そうして、木島始の詩による『路標のうた』、『遊星ひとつ』、『だれもの探検』、またクール・ジョワイエの『いのちのうた』。『路標のうた』以降の曲は何よりも初演者自身を非常に良く表す詩・曲となっている。「遠くはるばるきた人の目は」から始まる二群合唱の曲『路標のうた』は東西の大学の合唱団のために作曲された。『遊星ひとつ』については

 

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こうして各曲を思い返してみても、木島始の詩で3曲を作曲していることは、やはり特別なことと思える。 これらの曲の中で三善晃の「迷路」はどうなったか。

個人的な印象としては、これらの曲に三善晃自身の気恥ずかしさと韜晦を感じる。「バカでみっともないけど、こういのうが好きなんだな」とでも言うような、頭を掻いて苦笑するような風情がある。『響紋』以後なり80年代前半に作風の変化を見るなら、そうした変化の一環と思うこともできるだろうと思う。