『ふるさとの星』

Ensemble PVDのCD『三善晃 宇宙への手紙』はありがたいCDで、おかげで『子どもの季節』も聴きやすくなった。『四季に』や『五つの日本民謡』のような難曲もハイレベルな演奏で嬉しい。『宇宙への手紙』も、案外と聴く機会がなく、昨年の『夜と谺』で聞こえた恐ろしい音がここでも鳴っていることを喜んだ。

けれども、この『宇宙への手紙』という曲を歌うのが今どき意味があるのか、ということは少し思ってしまう。ブックレットに各曲の楽譜の序文が転載されており、『宇宙への手紙』の序文のタイトルは《生命(いのち)のメッセージ》というのだが、このメッセージはその時代に響かなければそれまでだったのではないかと、思う。

「我がふるさとの星 地球はみどり」のように「地球」を持ち出すのだが。これが90年代というか、冷戦の尻尾のように感じる。対立の構図に実質的に関われない位置から、その構図を超越する位置に立とうとする時に「地球」が出てくる。三善晃は『地球へのバラード』を書いて、この曲の「地球」はそういうものではないにせよ、委嘱者の「地球への愛」はそういうものだっただろうし、それはその後歌われるときにも多くは同様だったろう。

が、世の中に今ある問題はこの「地球」の前提にある対立ではない。この詩にあっては「せめぎあう人」という話にしかならない。『宇宙への手紙』のメッセージは、ずれたものに見える。あるいはだからこそ、つまりもう問題にならないからこそ優れた演奏が出されたのかも知れないが。