海外の作品について書くのは気後れする

日本人の曲では割合気ままに思いついたことを書き散らしているけれど、海外の曲だと同じようにはできない感じがある。

マックス・レーガーの曲について思っていたことを書いてみたのだが、

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ヨブ記のテキストと最後の審判をつなげてしまうのはありかなしか、とか、なしならこの見方全部間違い、とか、気になってしまう。歴史とか、キリスト教の文脈との関係など全く無知なため、いいかげんさや軽々しさがあからさまになってしまうと感じる。

実際、日本の曲でもやっていることは同程度で、歴史も浅くあまり語られてもいないから雑なことを書いても大したことにならないだけなのだろうけれども。

『Mein Odem ist schwach』(Max Reger)

トウキョウ・カンタートでは多少珍しいCDを売っていることがあり、今回はアルノルト・シェーンベルク合唱団によるマックス・レーガーのCDを購入した。『三つのモテット』が収録されていて、以前に触れたことがある曲なので気になったのだった。『Mein Odem ist schwach』はその第1曲で、ヨブ記からの言葉を歌詞としているらしい。4つの部分から成り、第3の部分がホモフォニーのコラール、他はポリフォニックな音楽で、第1の部分は死に瀕した場面の非常に遅い音楽、第4の部分は二重フーガになっている。

この第4の部分の歌詞は

Aber ich weiß, daß mein Erlöser lebet und er wird mich hernach aus der Erde aufwecken.

となっており、大体

しかし、私は私の救い主が生きていることを知っています、そして彼はその後地から私を目覚めさせるでしょう。

というような訳になる。

先に書いたように、この部分は二重フーガで二つの主題がある。第一主題は四分音符、八分音符、八分音符のリズムを主体とした音の跳躍を含むテーマであり、第二主題は八分音符による半音ずつの長い上行音型となっている。そしてその他の部分は八分音符と十六分音符による細かく表情のついた音が流れていく。二つのテーマは相対的に長い音符でできており、全体の中で特徴が浮き上がるようになっている。

この二つのテーマだが、第一主題はラッパのイメージ、第二主題は復活と天に上る階段、ではないかと思う。この曲は、死の際、墓の手前から始り、最後の審判、ラッパが鳴り響き、地から蘇り、天に迎えられる場面で終わる、という風になっているのではないだろうか。

トウキョウ・カンタートのこと

何ごともなくゴールデンウィークが終わってしまった! というのが嫌なときにはトウキョウ・カンタートを覗いてみる気分になる。トウキョウ・カンタートでは以前の三善晃特集のように時々気になる曲目の多いコンサートがあり、そのような年は少し気張って聴きに行くのだが、企画が常にどこか微妙、という印象がある。今年など「紅白って平成も終わるのにいつまで昭和だよ」と思うのだが、これが結構人気らしくますますがっかり感が強い。

このあたりどうも閉塞感があり、近い時期のラ・フォル・ジュルネに行く方が良いか、と思うこともあった。著名な合唱団と指揮者でバッハの受難曲なども演奏されることがあり、お祭り感も含めて開かれた感じがする。それで何度か聴きに行ってもみたが、こちらはこちらでどうかという気がしてきた。1公演はチケット代が半分時間も半分、くらいだと、2公演で通常の1公演分。それを音楽を聴くためでない会場で、となると何かごまかされているような気がしてくる。また、数年前に当日券でダニエル・ロイスの指揮でバッハのモテットを聴いたが、今はそのくらいのチケットが当日では買えそうにない。また、CD売り場を覗いたがやや縮小されたように感じた。総じて、チケットは少し手に入りづらく、出演者は少しメジャーでない方に、という様子で、長期的には厳しいのかも知れない。

そうしてみると、安定して最高の演奏家を呼んでいるトウキョウ・カンタートの招聘講師、という見方もありではないかと思えてくる。それで、昨年と今年はクロージングコンサートを聴いてみた。プログラムについて各指揮者にそれぞれ企みがある点は面白く感じた。演奏は悪くはないのだが、短期間のことなのでやや散漫な演奏が多かったかも知れないが、プーランクの劇的な表現が全体を引き締めていたと思う。

三善晃入門?

少し前のことだが、たまたまそのような文字の並びを見かけた。自分などそれほどマニアックでもなく、何か特別な知見があるわけでもないが、とにもかくにも延々と三善晃の曲を聴き続けてはきたので、少しくらい挙げてみてもいいかと思い、考えてみた。

「入門」と言っても人それぞれに背景があるだろうが、全く手掛かりのない中で最初に勧めるとしたら、ギターのための『五つの詩』だろう。この『五つの詩』は入門にして既に深淵、聴きやすくかつディープな、「三善晃を聴く」という感じを植え付けてくれる曲だ。芳志戸幹雄や福田進一などの録音があり、その点でも聴きやすいだろう。その次は、親しみやすさの面からは『四つの秋の歌』か『海の日記帳』、『五つの詩』の雰囲気を追っていくなら『彩夢』を聴いてもらいたい。各曲は、『四つの秋の歌』なら初期作品あるいは歌曲、『海の日記帳』は80年代の後半以降や子供のための作品、『彩夢』は『レクイエム』から『響紋』に至る時期と、それぞれが年代や曲の種類の面でその先に広げていける曲だと思う。

また、クラシックを聴く人なら、この辺りに加えて初期の『ピアノソナタ』や『ヴァイオリンソナタ』などを並べて、あとは時代順に進めていけばいいかと思う。現代ものまで守備範囲というならさっさと『チェロ協奏曲』(第1番)や三部作・四部作に行け、となるだろう。

合唱曲についてはここまでわざと外しておいた。合唱曲からは合唱曲にしか広がらない印象があるからだが、要望がありそうなのもこちらかも知れない。ということで挙げてみるなら、最初の1曲は『地球へのバラード』がいいだろう。この曲も受け入れやすく、それでいて心の深いところに一気に入り込んでくる。『私が歌う理由』の鋭利さから、心情に密着してくる『沈黙の名』に続くあたりはずるいとさえ感じる。次に谷川俊太郎の詩による曲をいくつか聴けば、その先は気の向くままで大丈夫だろう。他にも有名な曲は色々あるが、それぞれいきなり聴くには難しい面を持っている、と思う。

東京混声合唱団 第249回定期演奏会

以前に東京混声合唱団の演奏会に行ったのは、もう10年以上前になる。日曜日のコンサートということで都合がつけられたのと、ピツェッティ、マルタンといった名前に惹かれて聴きに行くことにした。

 

東京混声合唱団 第249回定期演奏会

指揮:三ツ橋敬子

ハープ:景山梨乃(第2ステージ)

  1. 『三つの合唱作品』(Ildebrando Pizzetti)
  2. ゲーテの「ファウスト」第2部より天使の合唱』(Franz Liszt
  3. 『Melodies in Ravel』(上田真樹 委嘱作品初演)
  4. 『二重合唱のためのミサ曲』(Frank Martin)

ピツェッティのこの曲は、もともとそういう曲なのか演奏のせいなのか分からないが、いつも捉えどころのない感じがある。東京混声合唱団がそれほど緻密な作り込みをする団ではないこともあり、やはりぼんやりした曲という印象は変わらなかった。

ピアノの音楽に親しみがなく、リストについてもほとんど何も知らないが、今日の曲は面白く聴いた。声の力が生きる曲で、ハープも美しく、良いステージになったと思う。

上田真樹の新曲はラヴェルのピアノやオーケストラなどの曲をアレンジして1曲の合唱曲に仕上げるというものだった。響きの多様さを合唱に落とし込むところにエチュード的な関心と楽しさはあるが、タイトルの割にラヴェルの旋律はそれぞれの曲のインデックスとしてしか意味がない印象はあった。総じて「この曲のあの響きがこんな風に合唱で鳴らされるのか」というところが魅力だったが、正直なところラヴェルが聴きたいときにはラヴェルを聴くので別に結構、くらいの感想を持った。

マルタンのミサは合唱の名曲の一つで、演奏頻度も相応にあるが、実演を聴くのはやはり随分久しぶりだった。二つに分かれた合唱団はどちらもやや非力な感があり、特にソプラノは弱音があまり美しくなく不安定で、またバスは片方は変に主張が強くもう一方はもう一つ声が前に出ないところがあり、配置も含めて二重合唱としての面白みが欠けた何となくの八部合唱、という感じがあった。さらに決め所で合唱が声の都合で拍をごまかしたり、指揮者もポイントの前で意味があるのかないのか分からない拍を打つようなところがあって、大事なところをぴたりと出られないということが数回あった。そのような問題はありながらも、やはり名曲は名曲で、良いものを聴いたとは思えた。

東京混声合唱団の果たす役割は重要かつ独自のもので、多少の満たされなさには目を瞑っても支援していきたいという気持ちはある。一度くらいは委嘱活動の支援で会費を払ってみても良いと思いもするのだが、今年の名前を見て見送ることを決めた。