シャボン玉の割れる音

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三善晃の『シャボン玉』(『虹とリンゴ』)に関して、

シャボン玉が割れるような音がしたけどあれは詩のどこの部分なんだろう?

と上の記事で触れられているのは、詩の最終行、曲の中でも終盤の「まるで美しいシャボン玉のように」の部分だろう。ここは「各自、自由に歌い、クラスターをつくる」との指示により、アルトが「美しい」、ソプラノ・メゾソプラノが「シャボン玉」の言葉でそれぞれの音型を繰り返すようになっている。

実際、ここでは「シャボン玉が割れるような音」が聴こえる。その仕組みが「うつくしい」の母音が他の声に吸収されて ts、k、sh の子音が分離されるためらしいというところまでは一応は分析できる。それを作曲者が意図したのかと考えるのだが、『さまよえるエストニア人』の「蜜蜂の歌」を思い返すならこれもまた意図的と見ることができそうではある。

そうだとして、三善晃はなぜシャボン玉の割れる音を書いたのか。または、ここで「シャボン玉が割れる音だ」と聴く側が感じることはどのような働きをもつだろうか。

この場面が湧き出すような無数のシャボン玉の映像的な表現なのは分かるわけだが、そのことがこの「割れる音」によって明確になっている面はあるかも知れない。そこから「漂い出て高く昇っていくひとつのシャボン玉」が導き出されるので、重要といえば言えるか。また、シャボン玉はすぐ割れるものだと意識させる面があり、曲の終わりまでの緊張の持続をもたらしている。

ところで、虹の色はシャボン玉の表面に映っているのだった。

おお季節 その季節に虹が懸かっている

(初演時プログラムノート)

シャボン玉の割れやすさ脆さは、秋へとかかる虹の儚さへと三善晃の中で結ばれている。言葉としてであればこのことは分かるのだが、それを音として納得させられるか。「シャボン玉の割れる音」はそのための要素の一つだろう。

『魁響の譜』(日本フィルハーモニー交響楽団 第758回東京定期演奏会)

『魁響の譜』を演奏するというので、日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会を聴きに行った。

 

日本フィルハーモニー交響楽団 第758回東京定期演奏会

2024年3月23日 14:00

指揮 アレクサンダー・リープライヒ

ヴァイオリン 辻彩奈

 

オーケストラの演奏は聴きつけないので何とも言いづらいのだが、良い演奏だったと思う。特にシューマンの第1楽章の自在さが印象に残った。

雑な印象として、演奏された曲については明るさを感じた。それは『魁響の譜』も含めた話で、解説によれば岡山シンフォニーホールの開館記念演奏会のために書かれた曲であり、作曲の経緯からは自然なことではある。が、『祝典序曲』がタイトル通りの印象をもって聴かれてはいないことを思うと、この作品の性格についてはまた別に考える必要があるかも知れない。

今回『魁響の譜』を聴いて感じたのが、苛立ちや憂鬱さといった表情のないことだった。このような表情は、80年代半ば以前には三善晃の作品の重要な要素と見做され、おそらく聴く側はその裏に作曲家自身の姿を感じ取っていた。80年代の後半以降こうした表情が後退したことは、例えば『交聲詩 海』などを思い返せば分かるだろう。

また、この頃から機会音楽的な作品が増えている印象がある。合同演奏のための曲や地域に向けた作品が多数書かれており、オペラ作品として注目される『遠い帆』もそのような系統と見ることができる。1991年作曲の『魁響の譜』についても、やはりそうした中の1曲といえる。

CD『三善晃 交響四部作』のために書かれた文章「無言の風景」を思い出す。「三部作のとき、そこには私がいた」「四部作のときには、そのような私はいなかった。替わりに八月がそこにいた」と三善晃は書いた。

『魁響の譜』も、「私はいな」い音楽だろう。そこで替わりにいるのは作品を求めた人たちであり、三善晃はそうした具体的な人たちや機会に忠実な作品を書いた。90年代の作品の多くは委嘱者や委嘱の経緯と密接に結びつき、そこから広がりを得るまでには作品ごとの曲折があるように見える。

『大小』(上田真樹『そのあと』)

上田真樹の『そのあと』を練習することになり、今のところ一通りさらった段階となっている。

『そのあと』の楽譜の序文には「このところ、なんだか世の中がおかしなことになってきている。」とあり、その問題意識は特に2曲目『大小』と3曲目『十と百に寄せて』に示されている。

『大小』の詩の批判性は書かれた時期もありはっきりとしている。曲は馴染みやすいメロディーと印象的なダイナミクスをもち、つい歌いたくなるような調子となっている。楽譜は最初に付点のリズムを三連符として扱うよう指示があり、聴く上では風刺の軽さが出る一方、視覚的にはその付点リズムが全面的に使われていていかめしい印象がある。他の特徴として2・4拍の強調、終盤でのバスのD-Aの反復や半音で下降する音型などが目に付く。

半音の下降はまず低声に現われ、その後第一テノールにも現れる。これらは2拍単位で音が変化し、終盤では反行としての半音の上行から、四分音符での急速な下降につなげられる。共通の素材によりながら「ずり落ちるような状況の悪化」、「漂う不穏な空気」、「状況の切迫からの破局」といったことを描き出していると思われる。

こうして見たところ簡素に聞こえながらも非常に巧妙に作られているのだが、自分には本当にこれでいいのか、というような気分がある。「このところ、なんだか世の中がおかしなことになってきている。」と言って取り出すのが1960年代のアイロニーというのはおかしいのではないかと感じる。先に挙げた2・4拍やバスのD-Aは要するに「軍靴の足音」であり、そのような表現が戦争への批判となり得たのはせいぜい20世紀中のことではないか。

結局のところ、世の中に向けた批判意識が類型化して冷戦期の図式に帰着する、自分で言った「このところ」がどこかに行ってしまう、『大小』はそのような作品となっている。曲の洗練がこのような内容になってしまうところには、白けた気分にならざるを得ない。

混声合唱曲集『木とともに 人とともに』

この曲集はそれぞれ個別の経緯で書かれた3つの作品を集めたもので、3曲まとめて演奏されることもあるが1曲だけを取り上げて歌われることも多い。楽譜の序文には《谷川さんと、すべての「いのち」のために》との題がつけられ、谷川俊太郎の詩による作品であることと「いのち」という主題により、統一性のある曲集としてまとめたと考えられる。

が、やはりこれは後付けであって、序文に書かれた個々の成立事情がそれぞれ大きくかけ離れていること、谷川俊太郎の詩といってもそれ自体が幅広いことから実感としてはまとまりのある3曲とは言いがたい。それぞれの曲が単独で演奏されるのはこうしたことの結果だろう。

曲集として扱う時にはもう一つ何か主題性をもたないと印象が散漫になる。「谷川俊太郎」とするなら詩人の創作のなかでのこの3つの詩、のような観点を持つとか、あるいは作曲時期、近い時期の諸作品との関係を見ようとするとか、とにもかくにも何かが欲しい気になる。

個人的にはこの3曲について、語弊のある言い方だが合唱作品としての純度が低い、という点を見るのはどうか、と思っている。「純度」とは妙な言い方だが、『木とともに 人とともに』は合同演奏のため、『空』は独唱曲の編曲、『生きる』はピアノの即興から、というこれらの作品は、通常の合唱作品の演奏とは違った追求の仕方があっても良いだろう。

『木とともに 人とともに』

合同演奏のための作品ということは、通常それほど徹底した造り込みをしない、団体ごとに曲作りの姿勢が、さらには音楽に対するスタンス自体が異なる、等の状況下で歌われても成立する、ということになる。曲集の中ではもちろん求心的、集約的に作り込めばよいのだが、そうでなく合同演奏としての性格を表出するとしたらどのようにすればよいだろうか。

『空』

この詩とこの歌はやはり歌曲のものという印象がある。歌曲集の第4版が発刊されて『空』の原曲も楽譜を見ることができるようになり、比較できるようになった。歌曲と合唱の印象の差異は「さびしさはふたりで生きている証」の言葉が個人の心情であるかそこから離れた何かしらの真実であるか、というところにあり、この歌は前者につくべきだろう。合唱によってそこに到達するのは一つの挑戦になる。

『生きる』

「ピアノのための無窮連祷による」と付されているのだが、この関係を逆に見ることができるのではないか。つまりこの曲を『「生きる」を伴うピアノのための無窮連祷』として扱うことにより、三善晃が1999年の大晦日に弾いたピアノへと接近することはできないだろうか。

 

三善晃とピアノ作品(3)

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「ピアノのためだけではない作品」については、例えば『生きる』はまさにその一つだったわけだが、この曲の特殊な点は、もともとただピアノを弾いていたはずなのに結果としては合唱作品になったところにある。

ピアノを伴う室内楽の作品が、初期のソナタ室内楽’70のための『オマージュ』のシリーズを除くとやはり数として限られることを考えると、「ピアノのためだけではない作品」の主要な部分は結局声楽曲、合唱曲となる。実際、三善晃自身も「私のピアノ欲求は、きっと合唱曲のピアノ・パートで満たされているのだと思う。」と書いている訳だが、こうした作品をピアノの側から考えたとき、詩の存在はどのような意味を持っていたのだろうか。

ここで「詩と声とピアノ―私の音楽」に戻る。

私はピアニストではない。ピアノで育ち、ピアノで息をし、ピアノで話をしてきていて、だが、ピアニストの”仕事”はできない。

の部分、「ピアノで」の繰り返しにはピアノの身近さという面とともに、ピアノをメディアというか、媒介的なものとして語っている面があるように感じる。恐らくは「親しさ」や「容易さ」という言い方をしてきたようなことが、そのような関係をもたらしたのだろう。思うことがそのまま実現するような領域の内には、目的とし得るものは存在できない。

ピアノを媒介とするなら、それを通じて表れるべき何かがあることによって、ピアノ自体も意味を持つことになる。詩が、そのような何かであるかというのは三善晃の詩への対し方によるので、曲ごとに事情がことなるようではある。『生きる』では鳴らしていたピアノの意味を詩の方から伝えに来た、というように見える。『三つの抒情』『三つの夜想』については

そのピアノは、ピアノのためのノクチュルヌあるいはバラードである。

と書いている。個別の事情を追うのは大ごとになるが、ピアノの上での自在さを意味づける面が詩にあったのではないか、という風に自分には思える。

あるいは室内楽では、他の楽器や共演者の存在が類似の働きとなっていたのではないか、とも思う。『オマージュ』の見方によってピアノを伴う室内楽作品もまた多いとも少ないとも言える訳だが、多いとするならその事情も似ていたのではないか。さらに言うと連弾や2台ピアノの作品が案外とあり、これらはまた室内楽の場合と類似するのではないだろうか。